何のため、誰のため(2012年筆)

 

県民会館や市民会館など公立の施設は、基本的に税金によって管理運営されます。それらを税金で賄うことによって、地域住民に格安な料金で舞台芸術を提供できるのです。

それが公立劇場(文化ホールや音楽堂)の使命ではないでしょうか。

これは、文化芸術振興基本法の大きな目標です。

したがって、"何のため、誰のため" を考えて運営計画を立てて実行すべきです。

それができなければ、民間にまかせればよいのです。

 

劇場の音響や照明の設備は、音響家や照明家が芸術表現(演出)をするためのツールです。

劇場設備の機種や性能について、観客や利用者(地域住民)はどうでもいいのです。地域住民は、質の良い芸能が提供され、利用しやすい設備であって欲しいと思っています。

営利を目的としている商業劇場ならば、その設備を導入することによって、どれだけ良い作品が創れるのか、それによって観客が満足し、その結果観客が増えるのかを問われます。新設備の導入は投資なのですから、当たり前のことです。

したがって公立劇場も、地域住民の目が届かないからといって、オーバースペックの機材を設置したのでは税金の無駄遣いと判断されます。

 

指定管理者制度によって、さまざまな民間企業が指定管理者になって、これまでの道理は通用しなくなりました。無駄を省いて効率良く劇場を管理運営しなければ評価されなくなったのです。

 

誰の目線で劇場を作っているのか

公営の劇場(ホール)は、地方自治体のシンボルとして建てられ、現場を知らない事務方たちの俄学習で計画されたものも多く、それが箱物行政などと酷評されるゆえんです。

そこで何をするのかも決めずに「芸術の殿堂」とか「世界に発信」などと、甘いうたい文句を掲げて計画されたものが多くみられます。

 また、それを設計する建築家の中には、斬新なデザインで人目を引き、実験的な試作品を作って学会誌に発表して賞を受賞するのが目的のような人たちも見受けられます。これも一つの商売なのでしょう。

このような人たちによって建築された劇場は、舞台芸能を創造する場所であることを忘れてしまったかのように、使いづらい機構になっています。「オペラを上演できるようにしておけば何にでも通用するぞ」という安易な考えで、その道の技術スタッフをブレーンにして作られてしまって、実際にオープンすると市民の利用が多く、市民には高度すぎて使いこなせないという声をよく耳にします。

 

本年(2013年)4月に再開場した歌舞伎座を設計した建築家・隅研吾さんが反省を込めて、東日本大震災を振返って、次のように語っています。

『僕らは目立つものをつくればいい、目立つものとは大きいもの、それが建築家の仕事だ。これまでは何とはなしにそう定義していました。ところが、そういうものが自然の力の前にいかにもろいかを見せつけられ、これは根本から考え直さなければいけないんじゃないかと感じましたね』(2013314日、毎日新聞夕刊)

 

オペラなどのために作られた劇場を、地域住民たちが詩吟・カラオケ・歌謡舞踊・大正琴などの発表会に使用すると、「敷居」と「利用料金」が高いなどと、地域住民と施設管理側とのトラブルに発展してしまいます。

これはオペラや演劇が悪いということではなく、いかに施主が無知、無能であったかということです。

 

著名な建築家の無駄遣い

さらに、著名な建築家が設計した施設の維持管理がたいへんです。

形が斬新で総ガラスになっていたりすると、日当たりがよくて冷房が効かなかったり、清掃がとても面倒なのです。また、屋根の形が芸術的だったりしますと、修繕には莫大な経費がかかります。

そのような施設に限って舞台機能は疎かです。

 

また、設計能力が低かった昔は、次のような不具合は単なるミスとして済ますこともできました。

 

◎2階の調整室内の調整卓の操作位置に座ると舞台が見えなくなるので、室内を改造した。

 

◎フォロースポット室(センター投光室)からの照明が、客席の天井が邪魔をして舞台に届かないので、シーリーングから投光することにした。

 

◎夕立で屋根に当たる雨音が客席に聞こえてくるので、防音材を屋根裏に詰め込んで処理した。

 

◎稽古場の足拍子の音が観客席に漏れてくる。改修できないので稽古場利用を制限した。

 

◎舞台から調光操作室、音響調整室へのアクセスが悪いが、その改修は無理なので、簡素な操作は舞台袖でできるように改修した。

 

しかし、次のような建築計画は単なるミスではなく、税金を無駄遣いしたお遊び(実験)と捉えられても仕方ないのです。だからといって現在、その施設を管理運営している職員や委託スタッフの責任ではなく、この方たちはむしろ被害者なのです。

 

◎パイプオルガンのために導入した米国製の残響付加装置(音場支援装置)と台詞を立体的に拡声するドイツ製の装置は共に数億円かけて導入したが、一度も使われることなく廃棄されたということもあります。建築技術でやるべきところを電子技術に頼ってしまった結果です。

 

◎1階から5階に掛ったエスカレータは、メンテナンス費と電気代が嵩み、誰も利用してないときも動いていてエコの時代にそぐわないし、地震国の日本では危険でもあります。

 

◎ステージ後方がガラス張りになっていて、外の景色を見せて公演できるのですが、これを使用したことは皆無のようです。外の世界を忘れさせて非日常の世界に導くのが舞台芸能の本質ではないでしょうか。

 

劇場設計の基本は、観客にとって舞台を見やすく音を聴きやすくするのが一番で、演じ易い空間を作ることです。施主は、これからも著名な悪徳建築家の浅はかな言葉に騙され続けるのでしょうか。

 

貸館運営だって重要なのだ

いま、人気のある演出家を芸術監督に据えて、それを看板にする劇場がはやっています。それは一部の劇場なのでしようが、自主公演を主にして、貸館をおろそかにする傾向に走っています。

親方日の丸で、潤沢な税金に支えられて、自立することを忘れてしまった経営力のない人たちもいます。有名な芸能人を盾にして補助金をもっとだせ!と叫ぶ人たちもいます。

日本劇場技術者連盟の齋藤讓一理事長は連盟主催のフォーラムのなかで、次のように述べています。

『ある演出家から「日本はダメだよ。ヨーロッパの専門劇場は貸館なんて無いよ」と言われました。しかし「貸館なんて」と言っても貸館がなければ日本の劇場経営が成り立たないでしょう。また、貸館で外来のスタッフに学ぶことも多く、自分たちとは違う取り組みかたなどを発見できます。今では、せめぎ合いの貸館事業こそが、日本の劇場技術を育てるのに役立っているとまで思っています』

 

東京・三宅坂の国立劇場だって、貸館で稼いで自主公演を支えています。そのため、これまであった月一度の休館日を廃止してしまいました。一日でも多く利用者に貸せということです。

 

また、指定管理者制度によって施設利用者応対が改善され、自治体の条例に縛られずに柔軟な対応をして利用者から喜ばれている施設も多くあります。

そうでない従来のままの運営をしているところも未だありますが、そのような運営をしようものなら「市に言いつけるぞ」と利用者から脅迫まで受けることになります。

 

設備改修は現場のスタッフの計画でやろう

目的も定かでなく、建築家の夢として建てられた劇場で、日夜苦労されている現場のスタッフも多いことと思います。

一度も使われない設備や装置、使いづらい施設などなど、そこで働いている現場のスタッフは熟知しています。

その経験と劇場の本来の使われ方を把握したスタッフの力によって、使いやすく、そして無駄のない設備に修正するのが設備改修というものです。

その劇場のスタッフは、長年使用しているのですから「だれが」「どのように」使うのかを知っています。

 

オープンしたときは、「設計する者」と「それを操作するスタッフ」は異なっていたのですが、改修のときは運用するスタッフが自分たちの考えで仕様を決めることができるのです。

しかし、そうあるべきところを、官製談合でもやっているかのように、事務方が現場の意向を聴かないで発注してしまったという事例もあります。

 

設備改修は、次のような基本姿勢で臨みましょう。

 

◎オープン以来、使用しなかった舞台機構、機器は更新せずに廃棄する。

 

◎利用されていなかった国際会議場などは、リハーサル室などに改造する。

 

◎楽屋を会議やリハーサルに貸せるようにすることも得策である。施設は24時間、356日利用されることが望ましい。使われないスペースは無駄で、ホワイエ(ロビー)は展示場としも貸せる。

 

◎必要もない高性能で高機能な機器は無用。過剰スペックの機器は保守費が嵩み、余計な機能が付いているので故障個所が多くなる。もはや、最新の高級機器を導入して、よそに見せびらかす時代ではない。

 

これまで苦慮してきた設備を使いやすくするのが設備改修です。とかく余分な設備があるものですから、改修時に仕分けが必要です。

劇場スタッフは、今度は自分たちが失敗を犯さないように、自分の劇場に閉じこもっていないで、よその劇場技術者たちと交流を密にして情報交換をしましょう。そして、再考察するのが賢明だと思います。